7月20日の海の日に、今年もSPEED FESTIVAL 2026 岡山 + Tipo OverHeat Meetingが開催されるが、その中で「GC Returns 2026」のレースが行われる。「GC Returns」は、1972~89年に開催された富士グランチャンピオン・シリーズに出場したマシンとその同型車によるレースで、2025年8月に初めて開催された。2026年は全3戦で行われる予定で、その開幕戦として行われる。かつてのGCシリーズは1988~89年に鈴鹿サーキットとスポーツランドSUGOでも開催されたが、岡山国際サーキットがTIサーキット英田として開業したのは1990年のため、レースが行われたことはなかった。このためGCマシンによるレースは、今回初めて行われることになる。
そこでここでは、SPEED FESTIVAL 2026 岡山 + Tipo OverHeat Meetingで行われる「GC Returns 2026」のレースをより楽しんでもらうために、かつての富士GCシリーズとGC Returnsに関する情報をご紹介しよう。若い世代の方もこれを参考に、GCマシンやレースをより深く楽しんでいただきたい。
Part1の今回は、かつての富士グランチャンピオンシリーズがどんなレースだったのかを見ていただこう。

*富士グランチャンピオンシリーズとは?
富士グランチャンピオンシリーズ(Fuji Grand Champion Series)は、かつて人気を集めたスポーツ・プロトタイプカーを使ったレースだった。GCやグランチャン、もしくはグラチャンの略称でファンに親しまれ、ドライバーにとってはトップフォーミュラと並んで、出場することが目標となる最高峰の選手権でもあった。

1972年(左)は大排気量車の参加も認められていて、ローラT280 DFVやマクラーレンM12 シボレーV8といった車両も出場。1973年(右)には2リッター・スポーツ・レーシングカーが完全に主役となり、接戦が繰り広げられた。先頭の赤いシェブロンB21Pは、前年チャンピオンの鮒子田 寛さんのドライブ。
そもそもは1970年に環境問題対応のためメーカーがワークスレース活動を休止し、日本グランプリが中止されたことが、開始のきっかけだった。富士スピードウェイがスポーツ・プロトタイプカーによるレースを独自に開催することを企画し、翌1971年にスタート。当初は大排気量車(1972年まで参戦)やGTマシン(1973年まで参戦)の出場も認められたが、1972年から2リッター・エンジンの2シーター・マシンを駆るドライバーにチャンピオンシップがかけられるようになると、主にイギリスから最新のマシンが続々と上陸。さらに国内のコンストラクターによる独自のマシンやボディカウルが生み出されるようになっていく。またヨーロッパ各国製のエンジンに、国産エンジンが挑戦する戦いも激しく、そこには日本独自のマツダ・ロータリーも含まれていた。さらにタイヤメーカーの戦いもあって、こちらも各社が開発競争を繰り広げた。
こうした多角的な戦いの要素とトップドライバーの参戦が奏功して、シリーズの人気は爆発。テレビ中継も行われ、さらに人気は高まった。この結果日本レース界は、黎明期を牽引した自動車メーカーからプライベートチームに主導権が移っていくことになる。
人気が急速に高まる中で、1973年と1974年にはドライバーが亡くなる大きな事故が続き、これをきっかけに富士スピードウェイ名物の30度バンクが使われなくなった。ちょうど石油ショックの時期と重なったこともあったが、それでも人気が衰えることはなかった。


1978年(左)は2座席スポーツカーのみで戦われた最後のシーズンで、マーチ73~76S、GRD S74、シェブロンB36といったシャシーに、BMW M12型2リッター直4かマツダ13Bロータリー・エンジンが搭載されていた。1984年(右)はF2マシン用シャシーにMCSなどのカウルを装着したマシンの全盛期。ここには写っていないが、星野一義が全4戦でポール・トゥ・ウィンの大記録を達成した。
ところがヨーロッパでの同タイプの車両のレースは次第に衰退し、新型車が開発されなくなってしまう。このため富士GCシリーズは独自の路線を模索。1979年からシングルシーター・マシンの参加が認められるようになると、日本独自のマシンが主流となり、やがてF2のシャシーにカウルを付けたマシンのレースに変わっていく。F2のシャシーを使用しても、引き続きロータリー・エンジンの使用が可能だった点などがユニークだった。
参加ドライバーに関しては、GCに出場することがドライバーとしての成功を意味するところがあり、国内トップドライバーはほとんど参加していたし、今でいうジェントルマンドライバーも次々名乗りを挙げた。時には海外のトップドライバーが招聘されて、日本人ドライバーと真剣勝負を演じることもあった。
国内トップフォーミュラがF3000に移行した1987年からは、これをベースとした車両が中心となる。またトリプルローター・エンジンの使用も可能になった。
そして1988年からはスポーツランドSUGOと鈴鹿サーキットでもレースを開催。翌1989年には初めて全日本選手権がかけられたのだが、他カテゴリーの人気が上がったこともあり人気は低迷。結局この年でその歴史に幕を下ろすことになったのだった。
富士グランチャンピオンシリーズ歴代チャンピオン
| 年度 | ドライバー | シャシー | カウル | エンジン | タイヤ |
| 1971年 | 酒井 正 | マクラーレンM12 | シボレー V8 7L | GY/FS | |
| 1972年 | 鮒子田 寛 | シェブロンB21P | コスワースFVC 直4 1.9L | DL/FS | |
| 1973年 | 高原敬武 | ローラT292 | コスワースBDA 直4 2L | BS | |
| 同上 | シェブロンB23 | コスワースBDA 直4 2L | BS | ||
| 1974年 | 長谷見昌弘 | マーチ73S | BMW M12/6 直4 2L | BS | |
| 1975年 | 高原敬武 | マーチ74S | MOONCRAFT | BMW M12/6 直4 2L | BS |
| 1976年 | 高原敬武 | マーチ74S | MOONCRAFT | BMW M12/6 直4 2L | BS |
| 1977年 | 生沢 徹 | GRD S74 | VAL | BMW M12/7 直4 2L | BS |
| 1978年 | 星野一義 | マーチ74S | MOONCRAFT | BMW M12/7 直4 2L | BS |
| 同上 | ノバ53S | MOONCRAFT | BMW M12/7 直4 2L | BS | |
| 1979年 | 中嶋 悟 | GRD S74 | VAL | BMW M12/7 直4 2L | BS |
| 同上 | MCS | MCS | マツダRE13B 654cc×2 | BS | |
| 1980年 | 長谷見昌弘 | MCS | MCS | BMW M12/7 直4 2L | BS |
| 1981年 | 藤田直広 | マーチ802 | MCS改 | BMW M12/7 直4 2L | DL |
| 同上 | マーチ812 | MCS Ⅱ | BMW M12/7 直4 2L | DL | |
| 1982年 | 星野一義 | マーチ792 | MCS Ⅱ | BMW M12/7 直4 2L | BS |
| 1983年 | 松本恵二 | マーチ822 | MCS Ⅳ | BMW M12/7 直4 2L | BS |
| 1984年 | 星野一義 | マーチ832 | MCS Ⅴ | BMW M12/7 直4 2L | BS |
| 1985年 | 星野一義 | マーチ842 | MCS Ⅵ | BMW M12/7 直4 2L | BS |
| 1986年 | ジェフ・リース | マーチ85J | MCS 7 | ヤマハOX66 V6 2L | BS |
| 1987年 | 星野一義 | マーチ86B | MCS 7改 | コスワースDFV V8 3L | BS |
| 1988年 | ジェフ・リース | マーチ88GC | MCS 8 | 無限 MF308 V8 3L | BS |
Text:中島秀之 Photo & Special Thanks:GC Returns