[ナカジ~のティーポ的コラム13] オゼッラPA4と赤鹿さんの奇跡的な出会い

7月20日(海の日)開催のスピードフェスティバルの中で行われた、「World Heritage GC Returns 2026」Rd.1 岡山国際サーキットのレースで、Gen-1優勝を飾ったオゼッラPA4 BMW。このクルマとオーナーの赤鹿さんには、奇跡的な出会いによる素晴らしいヒストリーがありました。

[ナカジ~のティーポ的コラム13] オゼッラPA4と赤鹿さんの奇跡的な出会い

海の日のスピードフェスティバルの中で行われた、「World Heritage GC Returns 2026」Rd.1 岡山国際サーキットのレースで、Gen-1優勝を飾ったオゼッラPA4 BMW。このクルマとオーナーの赤鹿さんには、奇跡的な出会いによる素晴らしいヒストリーがありました。

赤鹿保生さんと愛機オゼッラPA4。素晴らしいコンディションにレストアされています。

「World Heritage GC Returns 2026」Rd.1 岡山国際サーキット https://www.tipo-mag.com/sf2026_gc06/ で、1972~78年の2リッター2座席マシンのクラス、Gen-1で優勝を飾ったのは、かつての富士グランチャンピオン・シリーズには出場していなかった、イタリア製のオゼッラPA4 BMWでした。

オゼッラは、トリノ生まれのヴィンチェンツォ・“エンツォ”・オゼッラ氏が1974年に設立したコンストラクター。オゼッラ氏はアバルトで、プライベートチームに販売した同社のレーシングカーのメンテナンスやアップデートを行う仕事をしていたのですが、アバルトがフィアットの完全子会社となってレース活動が制限されたため、レーシングスポーツカー部門の開発メンバーたちと共に、自分の名を冠したコンストラクターでその活動を引き継いだのでした。

まだアバルト時代に作った最初のマシンであるアバルト・オゼッラSE021は、1970年から始まったヨーロッパ・スポーツカー選手権(1970~75年は2リッター2座席マシンを使用)で、1972年にシェブロンやローラなどイギリス製のマシンを下してチャンピオンを獲得します。

翌1973年はアバルト・オゼッラPA1に進化し、さらに1974年にはオゼッラPA2となって、この年途中でワークスカーのエンジンがアバルト製2リッター直4DOHCからBMW M12型2リッター直4DOHCに変更されました。またPA2はピニンファリーナが手掛けたボディカウルを纏っていました。

1975年のオゼッラPA3を経て、1976年にPA4が登場します。1976~77年は、スポーツカー世界選手権として3リッターマシンと混走のレースを戦いましたが、1976年には2リッタークラスで3勝して総合2位となった他、公道レースのタルガ・フローリオでも優勝を飾っています。

その後オゼッラのスポーツプロトタイプカーは、PA5(1977年)、PA6(1978年)、PA7(1979年)、PA8(1980年)、PA9(1981年)と進化し、グループC前夜のグループ6マシンが出場できるレースで活躍を続けました。さらに北米のCan-Amシリーズやヒルクライム・レースに、オゼッラPA10、PA20、PA30などを投入。こうしたモデルは、現在でもヒルクライムなどで使用されているようです。

一方フォーミュラカーでも活躍し、1974~79年はヨーロッパF2選手権に出場し、1979年にはエディ・チーヴァーを擁してオゼッラFA2/79 BMWで3勝しました。さらに1980~90年にはF1にも挑みましたが、最高順位は4位で、成績的には成功と言えませんでした。

富士グランチャンピオンシリーズには、何度か参戦する計画があったようで、かなり具体的なものもあったと聞きますが、参戦が実現することはありませんでした。

岡山のグリッド上のオゼッラPA4。メンテナンスは京都のKEDが担当しています。

このため今回の「World Heritage GC Returns 2026」Rd.1 岡山国際サーキットが、日本のGCレースに出場した最初の記録になります。

ところで、今回オーナーの赤鹿保生さんのドライブで出場したオゼッラPA4は、1976年のタルガ・フローリオに、シチリア島のパレルモが本拠のスクーデリア・アテネオからエントリーされ、“アンフィカー”とアルマンド・フロリディアのドライブにより総合優勝を飾った個体そのものです。タルガ・フローリオは、1906~1977年にシチリア島で行われた伝説的な公道レースで、1955~1973(除1956、57)年には世界選手権が懸けられていました。

“アンフィカー”はシチリア島出身のエウジェニオ・レンナ氏のエントリー名で、西ドイツ製の水陸両用車と同じ名前ですが、特に関係はなかったようです。またアルマンド・フロリディア氏もシチリア島出身のドライバーであり、この1976年のタルガ・フローリオでのオゼッラの優勝は、シチリア島のレースファンにとって特別なものだったのです。

赤鹿さんはこの個体を3年前にフランスで購入され、すぐにエンジン&ミッションをオーバーホールし、ボディカラーをタルガ・フローリオ時の赤に復元されます。このクルマを、北イタリアの公道トライアルレースのリバイバルイベントである、「ヴェルナスカ・シルバーフラッグ」に出場させると、多くのイタリアの方々から、「これはあの“アンフィカー”がタルガで優勝した時のクルマか?」と連絡があったそうで、これによりたくさんの友人ができたそうです。

ところがその2023年12月に、“アンフィカー”ことエウジェニオ・レンナ氏が78歳で亡くなってしまいます。それもあって、2025年のル・マン・クラシックにこのオゼッラで出場する際には、主催者の計らいでタルガ・フローリオの時につけていたカーナンバー8をつけることができたそうです。

そしてこれを見た、タルガ・フローリオ文化協会が、“アンフィカー”の追悼と当時のタルガ・フローリオ関係者の同窓会を企画し、赤鹿さんとオゼッラPA4、さらにWorld Heritage財団の國江仙嗣さんとアバルト1000SP LMが招待されたそうなのです。

赤鹿さんはGC Returns出場のために、オゼッラを日本に移送する予定だったのですが、その前に國江さんと一緒にシチリア島を車両と共に訪れ、2025年12月に“アンフィカー”追悼同窓会に参加されました。現地では大歓迎され、“アンフィカー”と共にタルガで優勝したアルマンド・フロリディア氏ともお会いして、当時の話を聞くことができたそうです。またタルガ・フローリオのスタート地点であるフィオリポリに車両を持ち込み、デモランをする栄誉も担ったとのことです。

もう一つ、このオゼッラのお陰で奇跡的な出来事がありました。

これは赤鹿さんがタルガ・フローリオ文化協会のカルメロ氏から後で詳しく聞いたことだそうですが、実は1976年のタルガ・フローリオの後、“アンフィカー”ことエウジェニオ・レンナ氏とアルマンド・フロリディア氏は仲たがいをして、犬猿の仲になったのだそうです。50年近くを経てもその状態は続いていたそうで、今回カルメロ氏がアルマンド氏にイベントへの参加を打診したところ、頑なに固辞されたのだそうです。「レンナのイベントに参加することはない!」と。

ところが赤鹿さんがオゼッラを持ち込むことが決まり、それをアルマンド氏に伝えたところ、直前になって参加すると返事があったそうです。それも奥様と一緒に。そしてイベントでは、レンナ氏の奥様と娘さんとアルマンド氏夫妻が握手を交わし、長年の確執に終止符が打たれたのだそうです。赤鹿さんはレンナ氏の奥様と娘さんに何度も何度も「ありがとう」と言われたそうで、そこには半世紀という長い年月に対する、深い思いがあったのは想像に難くありません。赤鹿さんは、「シチリアの英雄2人の遺恨の解消に、ちょっぴりお役に立てたのなら嬉しいことです」と言われていました。

こうして様々な奇跡的な出会いを経て、赤鹿さんのオゼッラPA4は、日本にやってくることになりました。その日本の初戦で、いきなりクラス優勝を果たしたことは、遠くシチリア島にいる友人たちにも朗報となったことでしょう。

Text:中島秀之  Photo:GC Returns、ティーポ編集部、赤鹿保生氏

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