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ティーポ日本一周チャレンジ 栄光の(?)歴史

ティーポでは、創刊当初から数多くの日本一周イベントを行い、全国の読者の皆さんとお会いしてきました。諸般の事情により最近は殆ど行っていませんでしたが、今年久々に復活! ただ最近読者になられた方は、過去にどんな日本一周企画が存在したかご存知ないと思いますので、ここで簡単にご紹介しておきましょう。

1.「スーパーセヴン 10000キロ厳寒耐久ラン」

通称イクナ街道で我らのセヴン…いくっ!!ドライバー2人無事
本誌21号(1991年3月号)から開始されたこの企画こそ、後に「ティーポのお家芸」とまで言われた、日本一周企画の第一歩でした。まだ日本一周ではなく、真冬にスーパーセヴンで長距離ランをするというもので、スタッフが5グループに分かれて、本州と四国を走る予定でした。ところが、第2グループが四国は愛媛県の国道197号線を走行中にクラッシュ。普通の自動車雑誌なら、これで企画はボツになるところでしたが、創刊間もない本誌は、クラッシュの模様までを詳細にレポート。それがかえって人気となったのでした。因みにクラッシュさせたのは、創刊当時からのメンバーにして、2代目編集長だった、編集部Tこと嶋田智之でした。

2.「ホンダ・ビート 日本一周チャレンジ・ラン」

新しい出会いを求めて再び耐久ラン。
最初の日本一周企画は、本誌27号(1991年9月号)から開始されたホンダ・ビートによるもの。発売されたばかりのビートは、1960年代のライトウエイトスポーツを彷彿させるプリミティブな軽スポーツで、長距離ランには不向きなクルマでしたが、それがスタッフの心に刺さり、企画が実現されました。15人のスタッフが交代で、極力高速道路を使わず、極力オープントップのまま、27日かけて15000キロ余りを走破。まだ携帯電話やインターネットも普及していない時代でしたが、行く先々で読者の方々から熱い歓迎を受けました。このビートによるチャレンジ・ランで、本誌日本一周企画の基本が確立されたと言ってもよいでしょう。

3.「ホンダ・シビックET-i 全国漫遊忍耐エコラン」

ホンダ・シビックET-i 全国漫遊忍耐エコラン
全参加者が競技を行ったのは、本誌35号(1992年5月号)から開始されたこの企画だけ。5代目シビック(EG系)には希薄燃焼(リーンバーン)機構を採用したET-iというグレードがあり、これで日本中をエコランしながら走るという企画でした。2名1組で高速道路を使わずに走行。各人が行程中に100kmのスペシャルステージを行い、その燃費とそれ以外の走行時の燃費を計測。ポイント制で総合順位を決定しました。因みに最高燃費は51.264km/。現在のエコブームを先取りしたかのようなこの企画。各方面で反響を呼び、1ヶ月以上かけて日本を一周したクルーの中には、ライバル誌「NAVI」の大川悠編集委員なども含まれていました。

4.「我らはティーポお遊び隊」

我らはティーポお遊び隊
本誌39号(1992年9月号)から開始されたこの企画は、ティーポとしては異色のもの。トヨタから発売されたエスティマ・エミーナ/ルシーダをそれぞれ1台ずつ使用し、北回りと南回りの2班に分かれて、全国各地で自分たちがやってみたかったことを実現するという、夢のような企画でした。釧路川でカヌーに乗ったり、月山で夏スキーをしたりといったスポーツ系のものから、遠野でカッパを探したり、菅原道真の天神伝説を追って京都から九州を走るといったアカデミックなもの、更には秋田美人に会いたいというくだらないもの(!?)まで、様々な企画を毎号ご紹介しました。最低1回はキャンプで宿泊することという内輪の規定もありました。

5.「日本全国痛快ワインディング・チャレンジ インテグラの道」

日本全国痛快ワインディング・チャレンジ インテグラの道
本誌50号(1993年8月号)から開始されたのは、ホンダ・インテグラを使った、日本全国のワインディングロードを紹介するという企画でした。紹介したのは、北はニセコ・パノラマラインから南は阿蘇ミルクロードまで、全国15ヶ所のワインディングロード。北から組と南から組の2班に分かれ、それぞれが東京を目指しながらリレーしていく形をとり、ワインディングロードはもちろん、周辺の観光施設や温泉なども詳しく誌面で紹介。ドライブガイド的な要素もありました。また紹介するワインディングロードの駐車場や、ホンダ・ベルノ・ディーラーなどでミーティングやトークショーも開催し、各地の読者の方々との交流も深めました。

6.「モンテ・ミニ 日本一周チャレンジ・ラン」

見た! 触った! 新たな歴史の1ページ
「見た! 触った! 新たな歴史の1ページ」のタイトルで、本誌61号(1994年7月号)から行われたこの企画は、この年1月のモンテカルロ・ラリーにティモ・マキネン/ポール・イースター組の手で出場したグループA規定のローバー・ミニ・クーパー1.3iを使い、全国を巡るというもの。姉妹誌カーマガジンとの共同企画で、札幌をスタートした後、熊本まで南下して東京に戻るというルートを辿りました。イギリスのナンバープレートのまま、ストレートカット・ミッション独特のヒーンという高周波のサウンドを発しながら走るミニは、どこでも注目の的。もちろん各地で行われたミーティングには多くの読者の方が集まってくださいました。

7.「パジェロ・ミニで冒険し隊」

パジェロ・ミニで冒険し隊
姉妹紙ジェイズ・ティーポとの共同企画で、本誌77号(1995年11月号)から掲載されたのがこの冒険企画。三菱のパジェロ・ミニを2台使用し、九州をスタートして北海道を目指しながら、各地で冒険を行うというのもの。当時同じ社内で編集されていたアウトドア・エキップメント誌のメンバーにもコーチ役(?)として加わってもらい、シーカヤック、カヌー、パラグライダー、熊の調教、犬ぞりなどなど、様々な冒険やアウトドア・スポーツにチャンレンジしました。また各地の三菱ディーラーでミーティングも開催。ジェイズ・ティーポとの共同企画のため、これまでのミーティングとは異なる読者の方たちとも交流することができました。

8.「EVセヴン日本縦断3000kmチャンレンジ」

EVセヴン日本縦断3000kmチャンレンジ
本誌で電気自動車関連の連載を担当していた田口雅典が、自らも協力して作り上げたケイターハム・スーパーセヴンのEVで、九州から北海道を縦断するこの企画。本誌99号(1997年9月号)から100号記念企画としてスタートしました。スーパーセヴンがEVというだけでも驚きなのに、それで日本を縦断するのですから、様々な方面から大きな反響がありました。基本的に田口が運転を担当。本誌スタッフは各地でセヴンに合流し、一部行程で運転する形を取りました。全国各地で毎晩電源を借り、ついでにご飯をご馳走になったりする日々は、まるで夢のようでした。また本誌の読者だけでなく、エコ意識の高い方々との交流も生まれました。

9.「マセラティ3200GT 西日本縦断5000km!!」

ティーポ10周年記念チャレンジ
本誌10周年を記念したチャレンジランは、マセラティ3200GTを使用した西日本編と、フォードKaを使った東日本編に分けて行われました。本誌120号(1999年6月号)から掲載された西日本編は、登場したばかりのマセラティ3200GTを使用。日本一周企画の中では断トツの最速マシンでした。まず東京から大阪へ移動し、広島、愛媛、山口、福岡、佐賀などを経由し、東京に戻るルートを辿りました。各地で読者ミーティングが行われたのは従来通りですが、それと並行して、各地の読者の方のお宅を訪ねるというユニークな企画も行いました。それぞれのご家庭で編集部員は歓迎していただき、とても楽しい時間を過ごすことができました。

10.「Ford Ka ティーポバージョン 東日本縦断チャレンジラン」

Ford Ka ティーポバージョン 東日本縦断チャレンジラン
本誌10周年記念のもう一つのチャンレンジランは、欧州製のFord Kaを本誌が独自にモディファイした車両を使った、東日本縦断お披露目ツアーでした。当時WRCでフォードのスポンサーだったマルティニのカラーリングをシルバーのKaで再現。ホイールやスポイラー、エキゾーストなどでスポーティにモディファイしたKaティーポバージョンは大人気でした。北海道をスタートして東京まで、各地のフォード・ディーラーでミーティングも開催し、多くの読者の方に参加いただきました。OHVエンジンのFord Kaはとてもよく走ってくれ、クルマはスペックだけではないということを、編集部員が身をもって体験した長距離ランでもありました。

11.「NEW MINI & Tipo DRIVING CHALLENGE ALL ROUND JAPAN」

NEW MINI & Tipo DRIVING CHALLENGE ALL ROUND JAPAN
42年ぶりにフルモデルチェンジしたニュー・ミニ(初代)の日本導入直後に、全国へのお披露目を兼ねて行われたのがこの企画。本誌157号(2002年7月号)から連載が開始されました。ミニ・クーパーとミニ・ワンを1台ずつ使用しての日本一周は、まず当時幕張にあったBMW JAPANをスタート。宮崎にフェリーで上陸し、鹿児島の佐多岬から改めて出発。週末ごとに各地のミニ・ディーラーで読者ミーティングを行い、札幌までを縦断。更に関東を経由して関西に移動、ゴールは岡山のティーポ・オーバーヒート・ミーティング会場でした。巨大な横断幕にメッセージを書いてもらい、ゴール時には文字で真っ黒だったのも良き思い出です。